クレジット会社の設立と吸収合併

サラリーマンには転勤がつきもの。

僕は営業店をまた離れ、今度は本社勤務となった。
厳密に言うと、子会社の設立準備の任に抜擢されたのだ。

クレジットカード会社を新設するという。

職場環境も仕事内容も全く変わってしまった。
同じ会社に勤めながら、まるで転職したかのようだった。

子会社への出向という形で、約5年間、この仕事を勤め上げた。

この5年間は今までのどの期間よりも群を抜いて激務であった。
外食事業のそれとはまた異なる地獄。

極めて精神的に追いつめられた。
本当に何のためにやっているのかわからない仕事だった。
社内の協力体制を敷いてもらえず、孤立無援の状態で、他人が創った非常に楽観的な事業計画を遂行しなくてはならなかった。

それはとてつもない数字だった。

扱うお金の額も、営業店のそれとは文字通り桁違い。
自分が毎週億単位のお金を動かしているという事実。

とにかく、この仕事は今までの自分のスキルと能力ではとうていこなせないものだった。

必要にかられて様々な勉強をした。
数え上げたら切りがない。

ここで起きたことはあまりにも多岐にわたっているため、一つ一つ書き出せない。
会社として必要な業務は全部やった。
総務・労務・法務・経理・税務・経営企画・営業企画・営業推進・システム・クレーム対応・本社とのネゴシエーション・取引先との折衝・監督官庁への対応・・・etc.
これら全てをやらなければならない仕事だった。

この仕事を遂行することで、僕の日常的なストレスは桁違いに跳ね上がった。

乱れた精神バランスをどうにか保とうと、いろいろと対処法に手を出した。
数年やめていたタバコがいつのまにか復活。
気がついたら吸わずにいれなくなった。
コーヒーもガブガブ飲んだ。
飲み過ぎて胃が荒れ放題に荒れても飲んだ。
気持ち悪くなって、飲んだものはすぐにトイレで全部吐き出すことも多かった。
仕事終わりにパチンコに行くことも多くなった。
休日も基本的に朝から晩までパチンコ。

仕事での喜びが余りにも無く、不満と不安と緊張と恐怖ばかりが満ちているので、仕事以外で何か楽しいと感じるものをせずにはおれなかったのだと思う。

ただ、今まででぶっちぎりのストレス下にありながら、ギリギリ入院せずに済んだのは、多分、誰もやったことの無い仕事を任されているというところや、事務作業の効率化、スタッフの人間関係の円滑化など、やりがいを感じる部分があったからではないか、と思う。

それはほとんどマゾヒスティックと言っても過言ではないレベルだった。
ただ、それでも当時の置かれていた環境では、他の部署では味わえない快を感じられていたのは間違いない。

今冷静に考えてみると、事務仕事に没頭していたのも、それ自体に依存していたのではなかったか。

それほどに、仕事の意味が感じられず、自分で意義を見出さなければやってられなかった。

ただ、悲しいかな、どれだけ仕事内容に意義があったとしても、事業というものは生き物と一緒で、血の巡りが悪くなると死んでしまう。
ビジネスにおける血とはむろん、お金である。
自ら血(お金)を産み出す力が無ければ、生き残ることは出来ない。

設立3年目にして、事業の発展の見通しが立たなくなった。
数々の延命策が講じられたが、思ったような結果は出せず、5年目には廃業に追い込まれた。

ただ、クレジットカード事業は、駄目でした、はい辞めますというわけにはいかない。

結局、事業を他のカード会社に吸収合併で引き継いでもらう形となった。
自分たちが必死に育てていた会社を自らの手で終わらせる仕事。
これは本当に精神的にこたえた。
会社を消滅させるという仕事自体も非常に難易度が高い仕事で、実務の一切を実質的に僕一人でこなさなければならなかった。

そして、なんとかその大役を終えた僕は、自分の全精力を使い果たしてしまった。
明日のジョーの最終回のように真っ白に燃え尽きてしまった。

吸収合併後、本社に復帰した僕は、子会社での会計・税務・労務の実績を買われ、これまた新設されたばかりの、東京証券取引所に提出が義務づけられた内部統制報告書を作成する部署に配属された。

これがまた難度が異常なまでに高い仕事で、この仕事がちゃんと出来ていないと、上場廃止の処分を会社が受けてしまうという、とても重要度の高い仕事だった。

ただ、僕にはもはや、何もする気になれなかった。
完全に脳内のバッテリー残量が空になってしまったようだ。
それでもなんとか新しい仕事に挑んだのは、我ながら根性が座っていると思う。

が、次第に身体も心も動かなくなってしまった。

クレジットカード