やってもらったことを返す

自分の進むべき先が見え、身体も調ってきた僕は、気持ちにも余裕が出てきたのを感じていた。
積極的に行動することも楽しくなってきた。

僕が与えてもらった安心できる場所を多くの人に解放し、他の人にとっても安心出来る場所にしたいと、空間の浄化も含め、いろいろなことをした。
僕がじっくり話を聞いてもらったように、睡眠時間を削ってでも人の話を聞いた。
相手を救いたい、本来の自分に戻してあげたいという一心で、本気で人に向き合った。
人の吐き出した想いを拾うゴミ箱の役割もした。

そして気付けば、人のためだと自分に言い聞かせ、人の感じたくないもの、つまりネガティブな感情を積極的に拾うようになっていた。

その人が心の奥底にしまい込んだ、痛みや悲しみ、寂しさ。
その人が感じることをやめてしまったその人本人を苦しめている感情的な傷を分かち合うことで、本人に気づきを与えようとしたのだ。
その結果、自分の身体は元気なのに、元々強かった共感脳力が発動し、胃痛や嘔吐きで頻繁に苦しむようになってきたのだ。
それは一方的に僕が相手の感情的な毒を引き受け、一時的に相手を楽にさせていただけに過ぎなかった。

「自分を犠牲にして人に尽くしても、誰も幸せにはできないよ。」

その通りだった。
相手が自分で作り溜めてきた毒を引き受けて、浄化してあげる行為は、相手が本来持っている自浄の力を弱めてしまう。
僕の行なったことは自分をとことん犠牲にして相手の要望に応えるという、旧来の生き方がそのまま現れていた。

せっかく、自分を大切にすると決めてここまで健康を取り戻したというのに、また頑張って本来の健康を失うところだった。

「自分がしてもらったことを、そのまま返す必要はない。」

もし、安心感をもらって誰かに同じものを与えたいと感じたのであれば、その人の真似をするのではなく、自分のしたいこと、得意なことで与えてあげればいい。

人がしてくれたことを見ると、自分にもできそうだと錯覚する人がいる。
でもそれは、その人ができることをしてくれたからであって、誰もができるとは限らない。
むしろ、自分がしてもらって助かったということは、それは自分が得意ではなかったことだったのかもしれない。

自分がやってもらったことを返すというのは、やってもらったことをやってあげるということではなく、やってもらった時に感じた喜びや楽しさといった感情を、自分のやり方で世の中に与えてあげることだ。

「とことん好きなことをしなさい。それが必要な人が世の中には必ずいる。」

僕の価値感が大きく変わった瞬間だった。

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