仕事・働くのイメージ

仕事うつになってから「仕事」「働く」という言葉にすさまじいまでの抵抗があった。
「仕事」とは、強いられるものであり、その対価としてお金をもらうものだった。そのお金を疲れた身体と心の癒しに使い、また戦士として戦う。

それまでの僕は、全く自覚していなかったが、仕事をするために生きていた。そして、生きていくために仕事をしていた。
生きていくため。それはつまりお金を得るためだった。そして、仕事をするためにお金を使った。

何のためにお金を稼ぎ、何のために働き、何のために生きているのか。全く分からないまま、それでも毎日働き、生きていた。それで修復不可能なところまで心身が破壊され、健康を失い、仕事を失い、お金も失い、何もかもを失った。

そこから再生の道を歩みだしたわけだが、それまでの苛烈な記憶の刷り込みが「仕事」「働く」の定義付けを確固たるものとしていた。それは、「働いて仕事をしたらまた命の危機に瀕する」というもの。つまり、「仕事」「働く」そして「お金」は僕のトラウマとなってしまっていたのだ。

好きなことで少しずつ収入を手にし始めても、それが「仕事」とは言えなかったし、働いているのではなくボランティアなのだという感覚さえあった。「仕事」ではなく「趣味」とか「ライフワーク」とか適当にニュアンスを濁していた。当然それでお金をもらうことにも抵抗があった。「仕事でお金を稼ぐこと」そのものに凄まじい嫌悪感を抱くと同時に、「お金を頂いてやるものは全て仕事」というプロ根性も持っていたため、ダブルバインド(二重拘束)にかかってしまったのだ。

「仕事」「働く」「お金」。
複雑になってしまったこれらの定義、イメージをシンプルに戻さなければならない。

「使うことを楽しめるようになったら、お金は集まり始める。しかし、受け取ることを拒否していたら、手元には残らない。」

使う楽しみの次は、受け取る喜び。
お金を喜んで受け取るということは、お金を支払った人からの感謝も受け取るということ。

「仕事」とは、誰か(何か)のために働き、感謝され、お金という形で戻ってくるもの。そのお金をまた誰か(何か)のために使い、感謝を返す。そうして世の中は循環する。

それが腑に落ちるまで、ずいぶんと時間がかかった。

感謝