守るものをもつ

あれが欲しい、ここに行きたい、そうした願望も何かをするためのエネルギーになるかもしれない。しかしそれは一時的なもので、叶っても叶わなくても、時が経てばパワーがなくなる。その願望エネルギーを自分が動く為の原動力としていたら、常に手に入れたいものが必要となる。それはつまり、常時足りていない状態を作るということだ。

これは衝撃的な事実である。願望を実現しようとすることそのものが欠乏を産み出しているとは、なんと逆説的なのだろう。

新常識の世界は常に満ち足りている自分で生きる世界だ。その世界では、願望エネルギーそのものが存在しない。欲しいものや行きたいところがあれば、すぐに手に入れるための行動をするだけのことで、それ自体がエネルギーにはならないのだ。

では、何を原動力にするか。

それは、自分が与えたいと思える存在がいる、ということだ。そういう存在が周りにいることで、そしてその人に与えられる自分に価値を置くことで、いくらでもエネルギーは湧いてくる。

これは、得ることによって豊かさを感じるのではなく、与えることによって豊かさを感じるということである。

自分にまだ得たいものがある人は、決して豊かにはなれない。これは決して欲望の否定ではない。常に満ちているのが真の豊かさなのだ。豊かだから他に与えられるのだ。そして、与える相手が居て、自分にはその相手に与えられるものがある、ということは、それ自体が途方も無いほどの豊かさの顕われなのだ。

今まで生きてきた世界ではずっと与えられる側であり守られる側だった。欲しい欲しいとわめくばかりだった。自分を守ることで精一杯だった。だが、新しい世界では、僕は与える側であり守る側なのだ。自分だけでなく、自分の大事な人達を守れる力がある。これは全く次元の異なるエネルギーだ。このエネルギーが永続的に自分に生きる力を与えてくれるのだ。

守るものをもつ